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新規事業に力を

Power to the New business

迷走する新規事業

なぜ、新規事業が立ち上がらないのか?

question

世の中にはたくさんの手段・プロセス(以後、ツールと総称)を示した本、
記事がありますが、それらを使ってなぜ新規事業は立ち上がらないのか?

壁のひとつは、それらのツールを有効に使うためには使いこなす経験が要るということです。

過去と未来

あ~あの時買っていれば・・結果が出た後なら誰でもわかる。ケーススタディも同様で結果がわかっているものは当時の選択は必然に見える。あたかも必然の道を歩んできたように見えるのは結果がわかっているからだ。ケーススタディの本質は結果の見えない時点でなぜそれを選択したか、にあると思うが結果がわかっているとなかなかその臨場感というか、切迫感、不安感は味わえない。話が横道に逸れるが、ケーケスタディの本質は「その時、何を選んだか」ではなく、「なんでそれを選んだか」にある。理由に正解はない。正解を求める性質の人には向かない。正解のロジックを見出すところに価値がある。

過去の延長にあるものは予測精度が上がる。見えない・・と言っても着地の予想はつく。選択の幅は絞られる。
現時点からスタートするものの選択は難しい。
先が見えない臨場感、切迫感、不安感の中で選択するガイドになるものがロジックと価値観になる。
先の見えない時間軸に立った時に、何を選ぶのか? が冒険の入口になる。

意志とロジック

事業の始まりは「何かを成そう」、という意志があってそれを実現するためのロジックが生まれてくる。さらに上手くやるためにロジックが磨かれ、効率的にやろうとしてまたロジックが見いだされ磨かれる。これを繰り返した結果として大企業がある。
大きくなると、上手くやると効率よくやるが中心になり、何かを成そうという意志は所与のものになっていく。最初の“何か”が成長しているうちはそれで何の問題も起こらない。しかし、いつかは成熟し、衰退に入る。その時にあらためて「何を成すのか?」が最大の問題として立ち上がってくる。その時には上手くやるロジックと効率よくやるロジックしか企業内に経験がない。これが多くの大企業の抱える問題になる。

何を成すのか?はそもそもロジックで生まれない。意志があってはじめてロジックが意味を持つ。何を成すか、を設定するのは意外にも難物だ。それを実現するロジックとの掛け合いがなければ独創的な意志は生まれない。意志とロジックは往復運動と相互作用があって、はじめて独創的な、ワクワクするようなビジョンと言えるようなものが生まれる。

意志が軽い、創造性がないものは容易にロジックや道筋すらない手段が目標にとって代わってしまう。DX、ジョブ型、オープンイノベーション、AI・・・これらはすべて手段であって、ロジックすらも示さない。上手くやろう、効率よくやろう、というロジックだけが肥大化して何かを成そうという意志は空洞化してしまう。
・・ってことだね。

価値/抽出と創造

価値には二つの方向がありそうだ。
抽出と創造。
抽出とは過去に創った事業の絶え間ない最適化と効率化。磨き上げるのは無駄を排除するプロセスのファイン化と効率だ。価値の抽出とはロジックの追求である。
創造は未知なるものへの挑戦。仮説と検証を繰り返す、試行錯誤と実験である。冒険による発見が新たな価値を創造する。価値の創造とは冒険と発見である。
価値の抽出はロジックなのでわかりやすい。目的の設定もクリアである。ロジックがクリアなので期待値も数字で表せる。
一方の創造は未知への挑戦なのでロジックでは解体できない。挑戦する意志と勘とか価値観がリードする。期待値も創り上げていく意志を表す。
問題はわかりやすさ、である。抽出は既にあるものをロジックで分解するので圧倒的にわかりやすい。誰もが理解できるものとなる。創造は意志とか勘とか価値観という個人発のものなのでケースによっては理解すらも難しい。

大企業は価値の抽出の結果として大きくなっているので、価値抽出のロジックで回っている。そういう組織の中で価値創造を回すためには、一定の枠を個人の勘や価値観に任せるというロジックを組織の中で共有する必要がある。
経営ロジックの中にロジックでは説明できないパートが存在する、というロジックを打ち立てないと継続した価値の抽出と創造は成立しない。

両利きの経営

両利きの経営とは既存事業と新規事業の価値観、評価が異なるものを同時に行う経営という意味である。既存事業は“深化”・・主力事業の絶え間ない改善を行い、新規事業は“探索”・・新しいものへの実験と行動、ということで深化と探索の価値観の違いは行動にすると相反するものが多く、一緒にはできないので両利きというわけだ。
確かに深化と探索は違いはあるが、深化にしても試行錯誤の実験は必要で挑戦するマインドは必要じゃないか。このマインドの理解があれば探索への理解もそれほど苦労はしないでも拓けるんじゃないかと引っかかっていた。

しかし、よくよく考えてみれば深化のスペースが深い事業なら新規事業など要らない。既存事業の深化を愚直に進めばよい。両利きの経営が必要になるのは既存事業が成熟し、衰退し始めている事業を営んでいる企業になる。
成熟(衰退)事業では深化の手段は最適化と無駄を排除する効率の追求になる。もちろん多少の試行錯誤的な実験はあれども、行動と評価の中心は最適化と効率化である。このマインドと新しいもの、未知なるものへの試行錯誤の実験的挑戦は180度違うものになる。
既に創ってきた事業からの価値の抽出である最適化、効率化と新しく、未知なる事業の価値創造である実験的挑戦を両立させるものが両利きの経営でこれは相当に難易度が高い。
長年の最適化と効率化で生き延びてきた企業ではなおさらだ。
両利きの経営とは言うは易く行うは難し。

自前主義

自前主義はなんでも自分たちでやろうとして、高コストになったり社外の競争力を軽んじてしまう悪い意味で使われるが、この手のわかりやすさは要注意。
自前で価値を持たなければ、創れなければ、縮小均衡に陥り、しまいには市場から相手にしてもらえなくなる。自前で何かできなければ始まらないのである。

自前主義を掲げるケースは過去に勝ちパターンを獲得した企業だろうが、何を外部に依存して、何を自分たちでやるのか、の定義ができない状態で言い始めるといつのまにか中身が無くなってしまう。アウトソーシングだ、アライアンスだのバズワードに乗っかるとそれこそ骨抜きになってしまう。
基本は自前で独自の価値を創ることにある。この価値を活かすためにアウトソーシング、アライアンス、オープンイノベーションはある。持ち札(独自の価値)を持たないものは相手にされないわけだ。
いろいろテクニック的な手法やプロセスがあるが、基本は独自の価値を創ることにある。

一貫性の提供

会社を辞めて事業開発ガイドとしてスタートして、1年たったわけだが・・・一体、俺は何を提供しているのだろうか?と思い立った。世間にはいろいろなノウハウものがあふれているのだが、ノウハウは手段として提供してもそれ自体が目的にはならないし、「~の解決法」だ「~の作り方」のような話はどうしても、「そんなのねぇよ!」なのでノウハウの提供というのはサブに過ぎない。
戦略を一緒に考えます、というのもあるけどこれもちょっと違う。そもそも完成した戦略のようなものは存在しないので、当初案を考えてハイ終わりとはならない。むしろ、そこからがスタートで、あーでもない、こーでもない、と考えたり試したりして戦略自体をひねくり回すのが事業開発そのものだからだ。

で思ったのが、“一貫性の提供”という言葉。
何をやりたいのか、何をやるべきと思っているのか・・から掘り起こして、戦略らしきみたいなものを創って、それを試すためのノウハウを提供して、分析して、次の目的を設定する。時々は戦略そのものを見直すことになったり、そもそもの狙いから掘り直すケースさえある。
やったことのある人はすぐに思い当たるはずだが、この過程で容易に一貫性は失われる。具体的な行動から得られる情報は強いインパクトがある。これに引っ張られて、振返ってみれば迷走、遭難しているケースがほとんどだ。チェックのための質問は「その延長に最初に描いたゴールはあるの?」だ。
結果的に成功する事業開発は一貫性がある。意識せずにそうなったとしてもその一貫性は鮮やかに語れるし、寄り道もトッピングのエピソードとして語ることができる。
一貫性があれば上手くいくわけではないが、一貫性がなければ上手くいかないのは確実だ。(と思っている)
なので、俺の提供するものは事業開発における一貫性ということになる。コンサルタントじゃなくてガイドとしているのもそこにこだわりがある。

合目的

合目的‥という言葉を初めて聞いたという反応があった。
そういわれれば、日常使う言葉ではないなぁと思い調べてみると・・・合目的とは「ある目的に適合していること や 目的にかなっていること を意味します。」とある。まぁそのまんまの意味である。

私の合目的という言葉の使い方は「合目的だけじゃダメなんですよ・・」という使い方なんだが、常に目的と手段が一貫していることが大事と言っているのにこれは矛盾するなぁと思ったわけだ。ところが、自分の中では特に矛盾した感じはない。
それは、目的と手段の一貫性と目的に向かう際にぶつかる問題や、発見したもの、拾ったものの価値は矛盾しないから・・かな。
複雑性と不確実性が高い新規事業ではゴールまでの目的と手段に絶対的なものはない。だから新たな目的や手段を設定するための発見や気づきが大きな価値を持つ。
目的と手段がどんどん変化してしまう状況の中で重要でかつ難しいのはゴールまでの目的と手段の一貫性を保つことである。
つまり・・目的と手段の一貫性を保ちながら、新たな発見や気づきによって、目的と手段を変えていく、ということなのだ。(わかりにくいか・・)
だから目的に向かいながらもその過程で見つけたことを大事にしよう、時には目的を外して違う道を通ってみよう、という話になる。

ふむ、いよいよわかりにくくなってきた感じがするな。セレンディピティとか好奇心というのは目的があってのものだと思うけど説明が難しいものだなぁ。

多様性

多様性の撤退だの後退だのが話題になっているが・・・そもそもは価値を生むためには多様性があったほうがいいね、という目的の話であって、それがいつしか手段に転換されるといういつものパターンだ。しかもその手段が目に見えてわかりやすい違いにフォーカスするところから始まっているのでますます目的から離れて、公平性だ機会均等という話にすり替わってしまった。

価値を生むための多様性は本質的には見た目の話ではなくて、価値観の多様性だ。なので見た目では判断できない。見た目は多様性があっても価値観が近い集まりもあれば、見た目は同じようでも価値観が多様なケースもある。(レアかも・・笑)

見た目の多様性、性質の多様性が縮小している以上に価値観の多様性は寛容が失われているのが現在という世界かも知れない。