openhorizon_logo_black

My Sight

私が仕事で思ったこと、感じたこと、気になること、をメモ的に書いていきます。

ベンチャーの眼/大企業の眼

ベンチャーの眼/大企業の眼

ベンチャーの経営事例を大企業のメンバーが聞くと、
その意思決定の速さ、周囲を巻き込む力、行動の一貫性に深く感銘を受けることが多い。
ベンチャー側から見れば、それは“当たり前のこと”にすぎない。
だが大企業では、それがレアケースになってしまっている。
真剣味が違う――そう言ってしまえばそれまでだ。
ベンチャーでは、成長を目指す以上、意思決定し、スピードを上げ、周りを巻き込みながら進むしかない。
一つひとつが真剣勝負で、失敗すればすぐに修正する。
それ以外に成長の道はないのだ。
一方、大企業には「勝ちパターン」がある。
既に安定した収益を生む事業があるから、冒険的なプロジェクトに踏み出す必然性がない。
挑戦の必要がない組織は、当然ながら“失敗の経験”も失われていく。

ところが――である。
新規事業や新しい開発を始めようとすると、そこで初めて“冒険”が求められる。
しかし、多くの場合、やったことがない。
やり方を本で読んだ知識はあっても、それを組織の中で実装した経験がない。
知識も経験もないところに、洞察は生まれない。
つまり、大企業の眼で見る「理想的な事例」は、
ベンチャーの眼から見れば「当たり前のこと」なのだ。

上司の眼/部下の眼

上司の眼/部下の眼

価値観ほどではないが、企業組織を見ていると「立場による優先順位の違い」は常に存在する。
当たり前の話だが、人は自分の優先項目に囚われるものだから、その違いを意識して発信するのは難しい。
経営層は日々、株主・取引先・金融機関など内外から財務価値を問われ続けている。だから、判断軸はどうしても財務価値が主になる。
一方、部下は財務的な問いを直接ぶつけられることは少ない。その分、「なぜこの事業に取り組むのか?」という原点に価値を見出しやすく、意味価値が優先される。

この目線のズレは、主力ではない事業の評価で顕在化する。
もともとは新規事業として立ち上がった事業でも、時間が経つと“始めた理由”が曖昧になっていく。挙げ句の果てには、経営層でさえ「なぜこの事業を続けているのか?」がわからなくなっているケースすらある。
そうなると、判断は財務価値一本で下される。
部下側から見ると、「やる・やめる」の判断理由が意味価値の観点から説明されないので納得しにくい。
本来、事業の意味的価値を意識することは、その事業の出発点そのものだ。
だが、長く同じ事業を続けていると、運営そのものが目的になりがちで、事業の意味価値に立ち返る視点が失われていく。
危ない、危ない――。

価値観の断層

価値観の断層

価値観の違いを超えるのは難しい。
だって――価値観が違うのだから(笑)。

いくら言葉を練っても、表現を変えても、届かないときは届かない。
「努力が足りないのかもしれない」「能力不足なのだろう」――
あきらめない心が大切なのも、その通りだろう。
けれど、伝わらないものは伝わらない。
そしてその「伝わらなさ」を、自分の問題にばかり引き寄せてしまうと、心はすり減ってしまう。

“探索”に深く関わるほど、この経験は増えていった。
伝わらない強度も増していった。
それは価値観の断層が大きいからなのだろう。

だから少し軽やかに生きることにした。
伝わらないものは、無理に伝えなくてもいい。
伝わる人には、ちゃんと伝わるのだから。
そして、その人たちとは驚くほど深く、共感し合える。
それが、コミュニケーションの醍醐味だ。
価値観の断層は、確かにある。
けれど、伝わる人もまた、確かにいる。
どこまで粘るかは、バランス次第。

なるべく軽やかに歩こうと思っている。

財務価値と意味価値

財務価値と意味価値

コテンラジオで「財務価値と意味価値のバランスこそが新時代の経営理論になりうる」という話を聞いた。新規事業開発に携わる立場からすると、これは既に始まっている現実だ。

新規事業の最終目標はもちろん財務価値の創出にある。しかし、立ち上げ初期の短い時間軸では財務的には必ずマイナスであり、財務的成果として評価できない。だからこそ、意味価値が明確に認識されていなければ事業開発は続けることができない。
意味価値への理解が浅ければ、流行のバズワードなどに乗って一時的に事業を立ち上げても、財務的な赤字(投資)を前に継続性と一貫性を保てない。そして価値を創造する前に頓挫してしまう。そのような事例を数多く見てきた。
意味価値を企業経営に据えるためには、経営者の信念と哲学が不可欠である。そしてそれは個人の想いにとどまらず、組織全体の価値観として共有されて初めて持続可能なものになる。財務価値は仕組み的に共有と維持がなされやすいが、意味価値の共有と維持には高いハードルがある。
結局「両利きの経営」を実現するとは、財務価値と意味価値のバランスをどう設計し、維持していくかという問いに他ならない。
多くの企業が新規事業開発を掲げながら成果を出せていないのは、根底に意味価値への理解とアプローチに信念と哲学が欠けているからだ。マクロ的に見れば、これこそが「失われた30年」の正体ではないかと思う。対照的に、この期間に伸びた企業は意味価値を基点に事業を築いてきたことがわかる。

意味価値は「重要な視点」ではなく、前提条件になっている。

細分化とアーキテクチャ再構築の必然

細分化とアーキテクチャ再構築の必然

製品や事業が成熟していくと、開発要素は必然的に細分化されていく。
初期段階ではシンプルに統合されていた機能も、改良を重ねる中で専門に分かれ、個別の要素として管理・最適化されていく。
この細分化は効率化や高度化を生む一方で、事業の成熟とともに各要素は独自に深化を遂げる。その結果、顧客価値との間に「ズレ」が生まれる。要素単位では進化していても、全体としての体験や利便性が顧客ニーズに合わなくなるのである。

ここで必要になるのが、システム全体のアーキテクチャーを見直す視点だ。
細分化した要素をどう再統合し、新しい構造を設計するか。これは単なる技術的整理ではなく、顧客価値を再定義する作業にほかならない。
顧客は部分要素として価値を感じるのではなく、システム全体として価値を感じるのだ。
例えば、自動車産業においてはエンジン、駆動系、電子制御などがそれぞれ深化してきたが、EV化の流れはアーキテクチャ全体を見直し、要素の関係性を組み替えることで「静かでクリーンな移動体験」という新しい価値を生んだ。
あるいは、スマートフォンがカメラ・通信・ソフトウェアを一体化したように、細分化要素を再構築したアーキテクチャが新たな顧客体験を切り拓いた。
つまり、細分化は避けられないが、それ自体は顧客価値を保証しない。
むしろ細分化が進んだからこそ、アーキテクチャの再設計を通じて要素の関係性を組み替え、顧客にとって意味のある全体像を再構築することが重要になる。
成熟に直面した企業に求められるのは、要素の深化に没頭することではなく、アーキテクチャを見直し、そこから新しい顧客価値を描き出す力である。

断層をつくる難しさ

断層をつくる難しさ

事業や組織はやがて衰退モードに入る。そのとき必要になるのが「断層」だ。ここで言う断層とは、これまでの継続を断ち切り、新しい探索の流れをつくることを意味する。
しかし、この探索=断層を実行するのは極めて難しい。大きく二つの壁がある。

1. 時期の判断の難しさ
断層をつくるべき局面は明らかであるが、多くの場合は緩やかな衰退モードとして現れる。誰もが衰退に入っていることを理解していても、「今が断層をつくるべきタイミングだ」とは判断しづらい。
経験的にも、衰退モードの議論は10年以上テーブルに乗り続ける。しかし小出しの対応やお試しでは変化は起こらない。必要なのは、意志を持って大きな断層を設けることだ。投資枠・評価枠・人材枠といった根本的なレイヤーに踏み込まなければ、実現はできない。その判断と実行こそが最初の壁となる。

2. 継続の難しさ
断層をつくったとしても、探索は簡単に成果を生まない。結果が見えない時間を耐え、一貫性を持って継続するには、経営者やチームに深い信念と哲学が必要になる。これが浅ければ、必ず揺れ戻しが起こり、従来の継続路線に戻ってしまう。探索を続けるには長い時間軸が不可欠であり、ときに世代を超えて継承する覚悟が求められる。

現実には、多くの企業が断層に挑んでは揺れ戻しを繰り返し、結局は従来の継続に収斂していく。
断層=探索を継続し、一貫性を持たせるためには、未来への確信を経営チームが持ち切れるかどうかが決定的な条件となる。

“探索”は常に必要なのか?

“探索”は常に必要なのか?

「価値観が異なり、プロセス的には逆方向とも言える探索を常に行う必要はあるのか?」この問いにどう答えるのだろう。

う~ん、事業の成長が進んでいて、深化の方向が次々に生まれてくる状況では必要なさそうだ。だからと言って既存事業の成長が鈍化して「さぁ探索だ」と言ってすぐにできるものではないのは明らか。
時間軸も事業のライフサイクルが短くなったといってもそれなりに長い。深化の適応には深い経験と蓄積が必要で、この結果生まれる組織構造、文化的な壁を越えて探索を行うのは簡単な話ではない。

一つの在り方は次々に新しい事業を生み出し、事業のライフサイクルのポートフォリオを入れ換えていくフロー状態を保つことだろうが、これを絵に描いたように実現するのは持続性があるように思えない。
特に多数ある事業シードの中から、相対的に大きなものができればそちらにフォーカスするのが心理的にも事業的にも必然性がある。
利益を稼ぐ大きな事業の横で、お試しとして一定の探索活動を維持する・・というやり方もありそうだが、経験的に“お試し”はお試しに過ぎず、真剣に立ち向かわないと事業なぞできるものではない。
お試し活動を社外に切り出すケースもあるが、お試し評価をしている段階で投下資本の枠が小さく、事業の狙いもやっているメンバーの心理もどんどんちっちゃくなっていく・・というのが観察結果。“お試し”では道は切り拓けないということだ。

この件については継続的考察だ。

事業を動かす二つのプロセス

事業を動かす二つのプロセス

探索と深化の対比を価値観で捉えると、
探索=発見・挑戦・覚悟
深化=達成・継続・熟練
という二つの軸で表せる。
これをプロセスの観点から見ると、両者の構造とアプローチの違いがより鮮明になる。

既存事業の深化は、「達成・継続・熟練」という価値観のもとで積み上げ型のアプローチとなる。主力事業として成果を確実に積み重ね、継続することで強化され、熟練の技が競争力を生み出す。ここでは「施策を達成すること」が何よりも重視される。
一方で、新規事業の探索は積み上げでは生まれない。
最初にあるのは「目指すもの=ビジョン」であり、それに挑戦しながら、その過程で発見を繰り返し、未知に立ち向かう覚悟が求められる。積み上げる対象はまだ存在せず、むしろ将来の「積み上げの土台」をつくる過程にある。ここではトップダウン型のアプローチが必要で、成果が得られるかどうかすら不確実だ。
したがって、プロセスとしてみた場合、両者は考える方向が真逆になる。
この違いを理解しないと、価値観の差を知っていても実行に移すことはできない。

深化の価値観

深化の価値観

探索の価値観に対する深化の価値観を考えてみる。
探索したものは深化(進化)させなくてはならない。なので、対になる価値観ではなく発展的なものになる。現時点で考えたものは 「達成」・「継続」・「熟練」 というもの。

発見したものを深く掘る。価値としての本質を磨き続ける。価値の本質へ到達することが「達成」となる。
価値の本質へ到達するためには粘り強い「継続」が必要になる。一つ一つ積みあげる価値に重きを置かなくては決して到達しない。
同じ対象に向き合い、積上げていくことで得られる深い理解、技術。これが「熟練」。

“探索”と“深化”は対になるものではなく、発展的な関係にあるが、時間軸としては圧倒的に深化が長い。そして長い長い深化の成果が規模を持つ企業体という成果になる。
企業体は深化の果てが見えたときに探索に出ようとするが、その時には既に探索の価値観は企業体内部では希少になり、その希少価値を活かす術も希少となる。
それは達成率にこだわり、継続して数字をたたき出すことに熟練した経営リーダー。
長い深化の時間軸の中で経営リーダーは深化の価値観を強化した者になり、探索の価値観を活かす術は困難となる。

世の中にあまたあるテクニカルな方法論の知識や理解はあっても、探索に対する価値観をもたないと役に立たない。これが“両利きの経営”のハードルの本質。

発見・挑戦・覚悟

発見・挑戦・覚悟

探索の価値観を自分なりに考えてみた。
それが「発見」・「挑戦」・「覚悟」ということかなと今は思っている。

最初にくるのは“発見”。
何のために探索するのか? その目的を最初に置いた。
発見には好奇心、探求、学びが必要で、やってみなくちゃわからないという前に調べられる限りは調べて探求し、学べるものは学ぶ。そして、その先に何があるのか? どんな世界が広がっているのか? その好奇心が発見に導く。
これが革新を創り、成長をもたらし、意味を創り、価値を創る。

次が“挑戦”。
リスクを取る。リスクを取らないものに価値はない。
難しい・・と言うが、難しくないものに価値は宿らない。だから挑戦する。
予定通り行かない・・だから楽しい。だから、金を使うだけの価値がある。

最後は“覚悟”。
信念、志、執念・・・などと言ってもよい。これらがなければ続かない。
続かないものに価値は生まれない。

探索をやるなら、新規事業をやるなら、やる方もやらせる方もこの価値観を共有しなくてはならない。そしてこれが共通の評価軸になる。
成果は約束されない。けれど成果の出たものはこの価値観を外してはいない。