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新規事業に力を

Power to the New business

迷走する新規事業

なぜ、新規事業が立ち上がらないのか?

question

世の中にはたくさんの手段・プロセス(以後、ツールと総称)を示した本、
記事がありますが、それらを使ってなぜ新規事業は立ち上がらないのか?

壁のひとつは、それらのツールを有効に使うためには使いこなす経験が要るということです。

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  • いろいろなツールをどの場面で何をどう使うか?
  • それらのツールの得手不得手。場面への適応性の理解。
  • ツールを使いながら目標の解像度をあげてゆく。

これらは経験がないとできないことです。
そして、よく見られるのが以下の状況です。

  • ツールを使うことが目的化する
  • 当初の目標からずれた方向へ
    行ってしまう
  • 目標の解像度が上がらずに矮小
    化したものになってしまう

結果として、

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戦略負け

腹に落ちた戦略を創れない。
オープンイノベーション、 AIなど流行りの手段に
乗ろうとするが、目的を創れない。

継続
できない

腹に落ちないと続かない。哲学の欠如。

提供価値

経験と知見に基づき、
具体的に創るところを
一緒にやっていきます

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投資と賃金

投資と賃金

またもや選挙の話題になるが——
「賃金を上げます」という言葉を聞くたびに、どうにも違和感が残る。
民主国家である日本において、政府が直接賃金を上げることはできない。
政府ができるのは、せいぜい間接的な環境整備までであり、
仮に賃金が上がる結果が生まれるとしても、相当な時間を要するはずだ。
それにもかかわらず、
「私たちは賃金を上げます!」と断言する。
これがどうにも不思議でならない。

賃金が上がらない本質的な原因は、
企業が投資先を決めきれないことに連動しているのではないだろうか。
賃金は、言ってみれば「人への投資」である。
もし投資先が明確であれば、賃金引き上げは競争力強化に直結する、
もっとも具体的で、もっとも効果的な投資になるはずだ。
だが、投資先が定まらなければ、思い切った判断はできない。
しかも、この投資先は単なる事業領域レベルの話では足りない。
必要なのは、事業プロセスの中で、どのジョブに投資するのかを具体的に特定することだ。
それは明確な正解があるものではなく、
各企業の戦略的な枠組みの中で仮説として設定される性質のものに近い。
この仮説が定まれば、腹を据えて投資することができる。
それが戦略の実行そのものになるからだ。
「なんとなく強化したい事業領域」に対する投資では、
競争力は生まれない。
ジョブレベルまで分解し、定義する経験がなければ、
結局は従来通りの“全体の底上げ”にとどまり、
競争力の源泉にはならない。
ジョブ型人事やリスキリングがうまく機能しないのも、
突き詰めれば「人に何を求めるのか」という定義が甘いからだろう。
この点こそが、賃金が上がらない本質的な要因ではないかと考えている。

“It’s the economy, stupid.” という言葉がある。
結局のところ、これは経済の問題だ。
政府も企業も、「賃金を上げる」という事後の結果にフォーカスするのではなく、
賃金を上げる原資を、いかにして生み出すのかという事前の策に、
もっと目を向けるべきではないか。
——そんなことを考えた、選挙期間だった。

分配と成長

分配と成長

今まさに選挙で、どの党も分配の話をする。
給付、減税、補助金。
分かりやすいし、今の生活に効く。
それ自体を否定する気はない。
ただ、危機感が募る。成長の話が弱い。

分配は、決めればできる。
制度の話だからだ。
税率をどうするか、どこに配るか。
良し悪しは別として、意思決定と実行が直結している。
だから政治の言葉になりやすい。
一方で、成長はそうはいかない。
成長は制度ではなく、設計の問題だ。
どこに賭けるのか。
どの時間軸で回収するのか。
誰が失敗を引き受けるのか。
これを具体化した瞬間、責任が発生し、失敗の可能性が立ち上がる。
だから語りにくい。

分配は「どう配るか」という答えの話だ。
成長は「何を創るか」という問いの話だ。
答えは議論しやすい。
問いは時間も覚悟も要る。
問いを立て続けるには、短期の評価とは相性が悪い。
結果として、分配ばかりが前に出て、成長はスローガンになる。
だが、原資が増えなければ、分配は続かない。
成長なき分配は、当面のしのぎに過ぎない。
これは精神論でも、イデオロギーでもない。構造の話だ。

国家でも企業でも必要なのは、分配か成長か、という二択ではない。
短期の答えと、中長期の問いを、どう両立させるか。
そして、成長という問いを誰が引き受けるのか。
この国と企業はいま、
どんな成長の問いを立てようとしているのだろうか。

事前と事後

事前と事後

アメリカの大統領は、非常に幅広い権限を持っている。
それゆえに、一度暴走すると止めるのが難しい。
現在起きている“暴走”が今後どう収束するのかは分からないが、
システムとしては議会や裁判所がチェックを入れる仕組みになっている。
いわば事後チェックのシステムだ。
一方、日本の政治システムでは、首相が同じような暴走を起こすこと自体が難しい。
個人の判断で軍事行動を起こしたり、関税を引き上げたりする権限は与えられていない。
こちらは、入念な事前チェックを前提としたシステムと言える。

この違いを、企業経営の視点で眺めると、実に興味深いコントラストが見えてくる。
既存事業、いわゆる両利きの経営で言うところの「深化」には、事前チェックが向いている。
勝ちパターンはすでに確立しており、それを磨き込んでいく局面では、
事前のリスク確認や課題抽出が、事業の持続性・継続性を支える重要な要素になる。
一方で、新規事業、すなわち「探索」の領域では事情が異なる。
探索は本質的に事前にチェックしきれるものではない。
まず走り出し、結果を見て、学習する。
この事後チェックを前提とした試行錯誤のプロセスこそが、何より重要になる。
リスクばかりを考えていては、何も起こらない。

国家経営論として語るには荷が重いが、
企業経営として捉えると、事前チェックと事後チェックという対比は、
システムの違いを極めて分かりやすく説明する概念になる。
事前と事後、どちらが正しいという話ではない。
どこに、どのシステムを使うのか。
それを誤れば、長い目で見て企業の存続そのものに影響する。
企業の持続的な発展と成長には、
事前にチェックし慎重に進める「深化」の領域と、
時に暴走を許しながら新たな価値を見つけ出す「探索」の領域が、
同時に存在していなければならない。
これは、両利きの経営におけるオペレーションシステムの違いを説明する、
一つの分かりやすい定義なのだと思う。

選択と集中

選択と集中

選択と集中。
事業ポートフォリオの中で儲かる事業に集中し、儲からない事業は捨てよ——
よく語られる話だが、ことはそれほど単純だろうか。
財務的なスナップショットで見れば、その判断は正しい。
しかし、今儲かっている事業は、これからも儲かり続けるのか。成長できるのか。
その問いには、大きな疑問符がつく。
一方で、儲かっていない事業は、本当に筋が悪いのだろうか。
やり方がまずいだけではないのか。
そもそも、「儲かっている事業のやり方」しか知らないこと自体が、儲からない原因になっているケースも少なくない。
単純に儲からない事業を切り捨て、儲かっている事業にリソースを集中したとしても、
その事業領域自体が成長していなければ、行き着く先は縮小均衡だ。
それは時間の問題でしかない。

本質的な問題は、価値創造のやり方を、今儲かっている事業のパターンしか知らないことにある。
この状態では、仮に儲かっている事業が非成長領域に属していれば、やはりジリ貧になる。
さらに厄介なのは、新たな価値創造に挑むべき事業まで「儲からない」という理由で捨ててしまい、
出口も学習機会も同時に失ってしまうことだ。
集中すべきなのは、事業ではなく価値創造そのものではないか。
そして、選択すべきなのは、価値創造の領域や、利益モデルのパターンではないのか。
この「選択と集中」の定義や中身を議論しないまま、
新陳代謝だとか、新たな挑戦だとかを語ってみても、
それは空虚な掛け声にしか聞こえない。

AIに任せる、という幻想

AIに任せる、という幻想

「そこはAIに任せればいい」
最近よく聞く言葉だ。
面白いのは、その使われ方である。
自分がよく分かっている領域については、
「ここは人がやらないと無理だ」と言う。
経験も勘所も見えているからだ。
一方で、
自分にはよく分からない領域になると、
急に「それはAIでできるでしょ」と言い出す。
この非対称さが、ずっと引っかかっている。

分かっているからこそ、
そこにどれだけの前提や判断が詰まっているかが見える。
だから「AIに任せるわけにはいかない」と分かる。
分かっていない領域では、
何が難しくて、どこに落とし穴があるのかが見えない。
見えないから、AIならうまくやってくれる気がしてしまう。

本当に厄介なのは、
どこで引っかかっているのかを、
自分でもまだ掴めていない状態だ。
問いを立てる以前に、
どこで立ち止まるべきかが分からない。
そこを飛ばしてAIに任せると、
それっぽい答えは返ってくる。
だが、その答えをどこに置けばいいのかが分からない。

AIは、分かっていることを処理する道具だ。
分からないことを分かるようにする仕事は、
最初からAIの外側にある。
「AIに任せる」という言葉が、
少し幻想めいて聞こえるのは、そのせいだ。

堆積物のカオス

堆積物のカオス

長年の慣習の中で、企業には無数のルールが積み上がっていく。
その上に、コンプライアンスだ、SDGsだ、と新たな要請が重なり、さらにルールが増えていく。
一つひとつを取り出してみれば、それぞれに道理があり、目的も正しい。
だが、全体として眺めたとき、それらがどこへ向かっているのかは、もはや誰にも分からない。
そこにあるのは、方向性を失った「カオス」だ。
企業内の活動は、その堆積物の塊でできている。
そこにどれだけのコストがかかっているのか、どれだけの効果があるのか。
正確に答えられる人はいない。
こうなると、本来は価値を生むための企業活動が、
リスクを回避し、説明責任を果たすこと自体が目的の活動へと変質していく。
「失われた何十年」の本質は、戦略的な目標設定ができなかったことだけではない。
堆積物でがんじがらめになったプロセスに、コストと時間を吸い取られ、
価値創造に手が届かなくなったことにある。

では、これをどう打ち破るのか。
答えは単純だ。
企業活動の原点に立ち返り、価値を生むことに集中する。
ただし、そのために重要なのは「小さく分けること」そのものではない。
要点は、サブシステムをどう設定するか、
そして、それらにどの程度の多様性を持たせるか、である。
システムが大きすぎるなら、分割すればよい。
だが、画一的に分割されたサブシステムでは、結局同じカオスを再生産するだけだ。
戦略に基づいて役割の異なるサブシステムを設計し、
評価軸や意思決定のスピード、許容するリスクを意図的に変える。
その「違い」こそが、多様性の正体だ。
多様化の本質は、人材の多様性ではない。
まずサブシステムの多様性があり、
人材の多様性は、その結果として現れる。

戦略が先にあり、
手段として、どのようなサブシステムをいくつ持ち、
それぞれをどう運用するのか。
そこに、企業活動を再び価値創造へと引き戻す鍵があるように思う。

一点突破

一点突破

「一点突破」という言葉には、どうにも引っかかりがある。
選択肢がなく、これでダメなら終わり――そんな切迫した響きがつきまとうからだ。
戦略を考え、企画を練る立場に立てば、本来はできるだけ避けたい言葉である。
だが一方で、その切迫感があるからこそ、突破できる局面がある。
複数の選択肢を並べ、メリット・デメリットを整理し、天秤にかけながら進む。
それは合理的で、賢いやり方に見える。
けれど、そうやって突破できる道は、どこか予定調和で面白くない。
捨て身で挑む。
背水の陣を敷く。
退路を断ったからこそ、前に進むしかない。
その状態で放たれるエネルギーが、道を拓く。
一点突破の物語に心を揺さぶられるのは、そのエネルギーなのだ。

そもそも、未来はどこまで行っても不確実だ。
完璧な選択肢など存在しない。
選択肢の有無を論じること自体、後講釈の評論に過ぎない。
考えるだけ考え、検討できるだけ検討したなら――
最後に必要になるのは、理屈ではなくエネルギーだ。
一点に集中する覚悟。
迷いを断ち切る決断。
それが、結果として道を拓く。

“意味”の解像度を上げる

“意味”の解像度を上げる

Keep It Simple, Stupid.
“KISSの法則”をモットーにしているが、ここで大事なのは「複雑なものをシンプルに捉える」ことであって、単にシンプルであること自体には、ほとんど価値がない。
物事は、基本的に複雑だ。
MECEという言葉もあるが、あれだって“MECEに構造をつくること”に価値があるのであって、この世にMECEな事象そのものが存在するわけではない。
世の中、そんな単純じゃねぇよ、である。
ここを履き違えると、
“複雑なものをシンプルに、シンプルなものはそのまま”
という浅い整理に陥る。
それでは表面だけをなぞることになり、面白くもなければ、価値もない。

どんな事でも、背景があり、物語がある。
そのあるもの・ないもの、見えるもの・見えないものをこねくり回し、
いろんな角度から眺めながら、そこに一筋の切り口を見つける。
この作業をひたすら繰り返していくと、
複雑な世界が、ある時スッと一本の線として立ち上がる瞬間がある。
その瞬間こそが、意味の解像度が上がるということだ。

「シンプルにすべし」は本質だ。
だがそのプロセスは、いつだってカオスである。