多様性の撤退だの後退だのが話題になっているが・・・そもそもは価値を生むためには多様性があったほうがいいね、という目的の話であって、それがいつしか手段に転換されるといういつものパターンだ。しかもその手段が目に見えてわかりやすい違いにフォーカスするところから始まっているのでますます目的から離れて、公平性だ機会均等という話にすり替わってしまった。
価値を生むための多様性は本質的には見た目の話ではなくて、価値観の多様性だ。なので見た目では判断できない。見た目は多様性があっても価値観が近い集まりもあれば、見た目は同じようでも価値観が多様なケースもある。(レアかも・・笑)
見た目の多様性、性質の多様性が縮小している以上に価値観の多様性は寛容が失われているのが現在という世界かも知れない。