openhorizon_logo_black

My Sight

私が仕事で思ったこと、感じたこと、気になること、をメモ的に書いていきます。

細分化とアーキテクチャ再構築の必然

細分化とアーキテクチャ再構築の必然

製品や事業が成熟していくと、開発要素は必然的に細分化されていく。
初期段階ではシンプルに統合されていた機能も、改良を重ねる中で専門に分かれ、個別の要素として管理・最適化されていく。
この細分化は効率化や高度化を生む一方で、事業の成熟とともに各要素は独自に深化を遂げる。その結果、顧客価値との間に「ズレ」が生まれる。要素単位では進化していても、全体としての体験や利便性が顧客ニーズに合わなくなるのである。

ここで必要になるのが、システム全体のアーキテクチャーを見直す視点だ。
細分化した要素をどう再統合し、新しい構造を設計するか。これは単なる技術的整理ではなく、顧客価値を再定義する作業にほかならない。
顧客は部分要素として価値を感じるのではなく、システム全体として価値を感じるのだ。
例えば、自動車産業においてはエンジン、駆動系、電子制御などがそれぞれ深化してきたが、EV化の流れはアーキテクチャ全体を見直し、要素の関係性を組み替えることで「静かでクリーンな移動体験」という新しい価値を生んだ。
あるいは、スマートフォンがカメラ・通信・ソフトウェアを一体化したように、細分化要素を再構築したアーキテクチャが新たな顧客体験を切り拓いた。
つまり、細分化は避けられないが、それ自体は顧客価値を保証しない。
むしろ細分化が進んだからこそ、アーキテクチャの再設計を通じて要素の関係性を組み替え、顧客にとって意味のある全体像を再構築することが重要になる。
成熟に直面した企業に求められるのは、要素の深化に没頭することではなく、アーキテクチャを見直し、そこから新しい顧客価値を描き出す力である。

断層をつくる難しさ

断層をつくる難しさ

事業や組織はやがて衰退モードに入る。そのとき必要になるのが「断層」だ。ここで言う断層とは、これまでの継続を断ち切り、新しい探索の流れをつくることを意味する。
しかし、この探索=断層を実行するのは極めて難しい。大きく二つの壁がある。

1. 時期の判断の難しさ
断層をつくるべき局面は明らかであるが、多くの場合は緩やかな衰退モードとして現れる。誰もが衰退に入っていることを理解していても、「今が断層をつくるべきタイミングだ」とは判断しづらい。
経験的にも、衰退モードの議論は10年以上テーブルに乗り続ける。しかし小出しの対応やお試しでは変化は起こらない。必要なのは、意志を持って大きな断層を設けることだ。投資枠・評価枠・人材枠といった根本的なレイヤーに踏み込まなければ、実現はできない。その判断と実行こそが最初の壁となる。

2. 継続の難しさ
断層をつくったとしても、探索は簡単に成果を生まない。結果が見えない時間を耐え、一貫性を持って継続するには、経営者やチームに深い信念と哲学が必要になる。これが浅ければ、必ず揺れ戻しが起こり、従来の継続路線に戻ってしまう。探索を続けるには長い時間軸が不可欠であり、ときに世代を超えて継承する覚悟が求められる。

現実には、多くの企業が断層に挑んでは揺れ戻しを繰り返し、結局は従来の継続に収斂していく。
断層=探索を継続し、一貫性を持たせるためには、未来への確信を経営チームが持ち切れるかどうかが決定的な条件となる。

“探索”は常に必要なのか?

“探索”は常に必要なのか?

「価値観が異なり、プロセス的には逆方向とも言える探索を常に行う必要はあるのか?」この問いにどう答えるのだろう。

う~ん、事業の成長が進んでいて、深化の方向が次々に生まれてくる状況では必要なさそうだ。だからと言って既存事業の成長が鈍化して「さぁ探索だ」と言ってすぐにできるものではないのは明らか。
時間軸も事業のライフサイクルが短くなったといってもそれなりに長い。深化の適応には深い経験と蓄積が必要で、この結果生まれる組織構造、文化的な壁を越えて探索を行うのは簡単な話ではない。

一つの在り方は次々に新しい事業を生み出し、事業のライフサイクルのポートフォリオを入れ換えていくフロー状態を保つことだろうが、これを絵に描いたように実現するのは持続性があるように思えない。
特に多数ある事業シードの中から、相対的に大きなものができればそちらにフォーカスするのが心理的にも事業的にも必然性がある。
利益を稼ぐ大きな事業の横で、お試しとして一定の探索活動を維持する・・というやり方もありそうだが、経験的に“お試し”はお試しに過ぎず、真剣に立ち向かわないと事業なぞできるものではない。
お試し活動を社外に切り出すケースもあるが、お試し評価をしている段階で投下資本の枠が小さく、事業の狙いもやっているメンバーの心理もどんどんちっちゃくなっていく・・というのが観察結果。“お試し”では道は切り拓けないということだ。

この件については継続的考察だ。

事業を動かす二つのプロセス

事業を動かす二つのプロセス

探索と深化の対比を価値観で捉えると、
探索=発見・挑戦・覚悟
深化=達成・継続・熟練
という二つの軸で表せる。
これをプロセスの観点から見ると、両者の構造とアプローチの違いがより鮮明になる。

既存事業の深化は、「達成・継続・熟練」という価値観のもとで積み上げ型のアプローチとなる。主力事業として成果を確実に積み重ね、継続することで強化され、熟練の技が競争力を生み出す。ここでは「施策を達成すること」が何よりも重視される。
一方で、新規事業の探索は積み上げでは生まれない。
最初にあるのは「目指すもの=ビジョン」であり、それに挑戦しながら、その過程で発見を繰り返し、未知に立ち向かう覚悟が求められる。積み上げる対象はまだ存在せず、むしろ将来の「積み上げの土台」をつくる過程にある。ここではトップダウン型のアプローチが必要で、成果が得られるかどうかすら不確実だ。
したがって、プロセスとしてみた場合、両者は考える方向が真逆になる。
この違いを理解しないと、価値観の差を知っていても実行に移すことはできない。

深化の価値観

深化の価値観

探索の価値観に対する深化の価値観を考えてみる。
探索したものは深化(進化)させなくてはならない。なので、対になる価値観ではなく発展的なものになる。現時点で考えたものは 「達成」・「継続」・「熟練」 というもの。

発見したものを深く掘る。価値としての本質を磨き続ける。価値の本質へ到達することが「達成」となる。
価値の本質へ到達するためには粘り強い「継続」が必要になる。一つ一つ積みあげる価値に重きを置かなくては決して到達しない。
同じ対象に向き合い、積上げていくことで得られる深い理解、技術。これが「熟練」。

“探索”と“深化”は対になるものではなく、発展的な関係にあるが、時間軸としては圧倒的に深化が長い。そして長い長い深化の成果が規模を持つ企業体という成果になる。
企業体は深化の果てが見えたときに探索に出ようとするが、その時には既に探索の価値観は企業体内部では希少になり、その希少価値を活かす術も希少となる。
それは達成率にこだわり、継続して数字をたたき出すことに熟練した経営リーダー。
長い深化の時間軸の中で経営リーダーは深化の価値観を強化した者になり、探索の価値観を活かす術は困難となる。

世の中にあまたあるテクニカルな方法論の知識や理解はあっても、探索に対する価値観をもたないと役に立たない。これが“両利きの経営”のハードルの本質。

発見・挑戦・覚悟

発見・挑戦・覚悟

探索の価値観を自分なりに考えてみた。
それが「発見」・「挑戦」・「覚悟」ということかなと今は思っている。

最初にくるのは“発見”。
何のために探索するのか? その目的を最初に置いた。
発見には好奇心、探求、学びが必要で、やってみなくちゃわからないという前に調べられる限りは調べて探求し、学べるものは学ぶ。そして、その先に何があるのか? どんな世界が広がっているのか? その好奇心が発見に導く。
これが革新を創り、成長をもたらし、意味を創り、価値を創る。

次が“挑戦”。
リスクを取る。リスクを取らないものに価値はない。
難しい・・と言うが、難しくないものに価値は宿らない。だから挑戦する。
予定通り行かない・・だから楽しい。だから、金を使うだけの価値がある。

最後は“覚悟”。
信念、志、執念・・・などと言ってもよい。これらがなければ続かない。
続かないものに価値は生まれない。

探索をやるなら、新規事業をやるなら、やる方もやらせる方もこの価値観を共有しなくてはならない。そしてこれが共通の評価軸になる。
成果は約束されない。けれど成果の出たものはこの価値観を外してはいない。

探索の価値観

探索の価値観

自信を持って“探索(新規事業の探索)”をしていますか?
自信がないと・・ためらいや迷いが起こり、既にある事業の価値観に押しつぶされてしまう。やっている人の「迷惑をかけてすみません」、「やらせていただき、ありがとうございます」などの言葉は自分のやっていることに自信が持てず、既存事業の価値観の中に取り込まれている。自分の中に軸となる価値観がないと、やっていることに自信も持てないし、成果も期待できない。
迷惑と思うならやらなければいいし、やるべきではない。当然、成果も期待できない。
やらせてもらわないとできないなら・・育成的(発掘)な価値はあるかも知れないけど・・やはり成果は期待できないね。

探索は企業がやりたいこと、やらなければいけないと考えているから起こる。
ここにためらいがあるなら、新規事業などやらない方がいい。金と時間と人材活用の無駄になるだけ。だからやらせる方も探索の価値観がいる。やる方も探索の価値観に自信を持ってやらないと無駄になる。
企業の未来を背負って探索に出る。これが探索の価値観のベースになる。

育成とは・・

育成とは・・

「人材育成についてどう考えていますか?」と聞かれて・・ハタと困った。育成ってしたことあったっけ? できるんだっけ? できたことあったっけ?
結論と言うか、結果論として言えば、育成はできない。本人のやろうと思う気持ちに火をつけることしかできない。そういう人を発掘する・・ということになる。
育成ではなく、発掘だ。

考えて、それを実行し、自分なりの価値観を創り上げ、その世界を広げていく・・というのが求めるところだが、教えられるものじゃない。気づくもので、せいぜいその入り口やきっかけを提供するくらいか。あとは実践の場の提供かな。
気づける人は気づいて自律的に成長する。気づけない人はずっと受け身のまま。
素の能力の差というより、指向の違いが大きいんじゃないかな。
価値観を創りあげるには実行の頻度と経験学習の蓄積がある程度は必要なので・・最初の一歩をクリアするには時間がかかる。遅すぎることはない・・と言いたいところだが、早いにこしたことはない。
早く気づいちゃった人は経験を求めて、実践に向かい、太い価値観を創って行く。気づかない人は・・・ずっと受け身で待っている。
だから、育成なんてできる気がしないんだよなぁ・・・。できるのはガイドするくらい。だから事業開発ガイドと言っている。

結果論と未来への確信

結果論と未来への確信

結果論は結果がわかっているので正解がわかる。なぜそれを選んだのか、選ばなかったのかが手に取るようにわかる。
結果がわかる事例で徹底的に重要なのは、それを選択したときに自分なら何を選択するか? である。その意味では結果は答えとも言いきれない。その時点では答えはわからないし、他の選択の方がもっと結果がよいことだってありうる。
結果がわからない時点で選択するために、合理的な理由も必要だが・・・すべてがわかっているわけではない。そこにはその人ならではの未来への確信がある。確信できないまでも選択を悔やまない覚悟がいる。それを哲学と言ったり、生き方と言ったり・・まぁなんでもいいがそれを選択する覚悟なのだ。
未来への確信は、来る未来への覚悟とも言える。覚悟があればこそ、思い切った手を打てるし、迷いながらも全力を投入できる。

未来への確信を創るためには選択と覚悟の経験値が必要と思う。
日々の選択を覚悟を持って挑む経験の蓄積が未来への確信を生む。

モノからシステム

モノからシステム

単品としてのモノは持続的な価値提供ができない時代になった。モノはどんなに複雑なものでも最終的にはキャッチアップされるので、スケールすればフォロワーが数多く現れる。
キャッチアップされないのはスケールしない、ほどほどにニッチなモノなのだ。
モノ(製品)ビジネスとして単品でスケールする事業を描ける時代は終わったと言ってよいだろう。
しかし、モノからコトへと言われて久しいが、結局コトの中のモノにフォーカスしているケースが多い。それだけモノはわかりやすいのだろう。そして、モノビジネスで大成功してきた成功体験から抜け出せないのだろう。
これは忘れられないというノスタルジーもあるが、それ以外の経験がなく発想できないというのが大きい。

なので、モノからコトではなく、モノからシステムと言い換えている。システムとして発想せよ、と。意識しようとしまいと、ネットでつながっている世界ではシステムとして使っている。つながってどう利用するか・・という世界になっている。
金が落ちるのはシステムとして利用価値の高い部分になる。それがモノのケースもないわけではないが、システムの一部としてその部分の価値が高いということに他ならない。
だから・・モノではなくシステムとして発想しよう!