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My Sight

私が仕事で思ったこと、感じたこと、気になること、をメモ的に書いていきます。

適応とは何か?

適応とは何か?

環境変化、状況変化に適応する・・と言うが、実際にはそんなわかりやすい変化は多くない。ちょっとした小さな変化がやがて誰が見てもわかる大きな変化になっていく。
変化を先取りする新規事業において変化を捉えるのは簡単ではないし、変化を捉えなくては適応もない。

ではどうやって変化を捉えるか?
それは仮説~検証という活動にある。仮説~検証はあらかじめ立てた仮説を検証する活動であるが、本質は仮説を検証する過程での発見にある。
発見による目標の修正の積み重ねが結果として適応を実現する。
適応とは発見の積み重ねなのだ。

SDGsの本質

SDGsの本質

事業で100年単位の補助線を引けば・・・SDGsそのものになる。
今後100年を検討して進むべき道を考えれば、それは必然的にSDGsというわけだ。
そこから外れた事業は存続不可能だろう。

SDGsはいまやスローガンがバズワードとなり、手段が目的化するパターンに入っている感がある。しかし、真に事業を考えることが100年構想のスケール上にあることが必然となれば・・・わざわざSDGsと言わなくても企業の持続性、成長はすなわちSDGsのスケール上にある。逆に言えば、そのスケール上にない事業は淘汰されていく。
SDGsはお題目ではなく、企業の持続性の本質ということになる。

100年構想の時代

100年構想の時代

全てがつながり、システムとして変化していく時代。
2年や3年のレンジで考えても単品の製品や気の利いたアプリくらいで社会システムを変えるような事業にはなりそうもない。社会を変えるような事業を考えるならば10年でも足りない。100年くらいの補助線を引いて考える時代に入っているんじゃないだろうか。

実際に起こっていることはそうじゃないだろうか。
全てがつながり、関連し・・世界がどう変わるか、どう変わるべきかの一貫性がある。
ネットワーク、バイオ、環境、交通、宇宙、建築、社会問題・・・これからの100年でどう変わるかはわからないが、変わっていく方向、変わるべき方向はクリアだろう。
四半期計画の先に何があるのか?その延長上に何があるのか?
大きな事業開発は100年構想の時代になっている。

“生き生き”、させるのは誰か?

“生き生き”、させるのは誰か?

社員が生き生きしていることが競争力・・はそのとおり。
嫌々仕事をしているようではフラットな競争世界を勝ち抜けない。楽しんでやっている奴は競争相手としては始末が悪いわけだ。

そもそも生き生きさせるのは誰なのか? 確かに目先の施策でやる気が励起されることはあるけど、長続きはしない。それが当たり前でさらに望むようになる。
生き生きの原資は個人の中になければ続かない。
与えることではなく、自分の中で創るものだろう。

管理と冒険

管理と冒険

管理と冒険は典型的に対立構造を持つ。
「管理」は秩序や制御など予測可能性が前提にある。「冒険」は不確実性を受け入れ挑戦すること。

既存事業は予測可能性の中で勝ちパターンを回しているので、「管理」中心になる。そしてそれが利益を生むのだが・・・既存事業から脱却しないといけない状況になった場合は、対立的な「冒険」が必要になる。
長らく勝ちパターンを磨いてきた企業が「管理」と「冒険」を両立させるのはそれこそ想像できないほど難易度が高い。解像度も桁違いに低く、時間軸も長く、探索を繰り返す仕事は「管理」の中にはないからだ。
両立というのは違うOSを同時に、別々に走らせる・・という挑戦のしがいのあるものなのだ。

往復運動

往復運動

両利きの経営は「探索」と「深化」を両立させること。
両方を知らないとマネジメントできない。知っているとは経験があるという経験知を指す。情報として知っているだけでは足りない。
両立が難しいのは探索と深化が対立構造を持つから。
対立構造を持つものはどっちも経験していて初めてバランスを取ることができる。

バランスポイントに正解はないが、意図を持ってバランスを取ることが成果につながる。考えることなく、手なりでは運任せで上手くいかない。
経験知があって初めて、マクロ/ミクロ、近く/遠く、今/将来を往復し、バランスを決めることができる。バランスをきめることが“両利きの経営”と言える。

“楽しむ”、が価値を創る

“楽しむ”、が価値を創る

ネットの利点の一つに情報の平準化があげられる。
あらゆる情報は検索すればおおよそはわかる。わからないこともすぐに調べられる。
したがって、大概のアイデアもどこかで考えられて、実行されている。
ではアイデアはどこで差がつくのだろう? 何が価値を変えるのか?

楽しんでやることには心がこもる。
楽しんでやることは細部へのこだわりを生む。
楽しんでやると・・その楽しさが伝わる。
楽しむが価値を創る。

探索の時間軸

探索の時間軸

変化は激しく、1年は7年に相当する・・いわゆるドッグイヤーという言葉があったけど、いまこそ長期視点が求められる時代なんじゃないかと思う。それも3年とか5年じゃなくて、100年単位の時間軸だ。
全てがつながる世界では、単品ではなく社会システムをビジョンにしなければ局所の世界に入り込んでしまい、極小の事業構想にとどまってしまう。単品の変化は大きくても社会システムが変わるには10年はかかる。そして、確実に変わる。インフラとなるデジタル化の歴史はそう見える。

探索は10年。本気でスケールを求めるなら100年から10年、5年と分解する力(仮説を創る力)が求められる。そうでなければ一貫性は担保できず、結果として蓄積も生まれない。
企業経営の “深化と探索” は “四半期と10年” という時間軸のマネジメント能力でもある。
DXだぁ、AIだぁにも四半期と10年~100年を見て、実行する力が求められる。
面白い時代だなぁ。

覚悟と結果論

覚悟と結果論

歴史を学ぶと結果論で判断することの怖さがわかる。
多様な因果の流れがあって、それらが集まって偶発的に強調し合って結果を作る。個別に取り出せば、それなりの理があってそれらを単純に原因にしてしまうことは無理があるし、結果の分析としては浅い。 一つ感じるのは一貫性が欠如したとき、または崩壊したときに予想もできない暴走が起こりえるということだ。

一貫性の欠如、崩壊が結果を生まないのは事業開発も同様だ。
では一貫性は何から生まれるのか? それは覚悟なのだろう。覚悟は結果に囚われない。それが一貫性を生む。覚悟の継続性が結果を生むと思っている。

時間軸の取り方

時間軸の取り方

ROICを考えるときに時間軸をどう取るかは大きな問題であるが、時間軸で分ける話をあまり聞かないのは不思議な話であると同時に、日本の置かれた状況を反映しているような気がしている。要は目的が曖昧なまま数値指標を使っている、ということだろう。
既存事業の多くは短期的なROICがガイドになるであろうが、事業構造そのものが変わる挑戦や新規事業には長期的なROICがガイドになる。大方の企業は多かれ少なかれ既存事業そのものが従来の延長と構造改革への挑戦を含んでいる。どちらかしかない事業はほぼ存在しないと思われる。この切り分けは事業の分解をしっかり定義しないとできないのだが・・・この分解と定義は単一解が存在しない。

日本の置かれた状況はこの分解と定義ができない・・やらないところにあるのではないかというのが仮説になる。大雑把に言うと、すべてが出来上がったものがベースになってしまってるんじゃないかということで、大企業ならずスタートアップも同じ構造ではないか・・という話。
仮説だけどね。