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My Sight

私が仕事で思ったこと、感じたこと、気になること、をメモ的に書いていきます。

思考の短絡化

思考の短絡化

かつて情報はあればあるほど精度の高い判断ができると思われていた。それが簡単に手に入るとなれば情報の非対称性も解消され、なおさら精度は上がると。
しかし、起こっていることは逆のようだ。
大量の情報がインプットされ、信じたい情報を強化し、大きな振れ幅と強度をもたらしている。
明らかに思考は短絡化しており、飛びつきたい情報に飛びつき、強化されている。
これはあらゆるレイヤーに起こっていることのようだ。

この現象は前にも見たことがあるぞ・・実験解析の世界に表計算ソフトが誰でも使える状況になったときだ。
表計算ソフトは様々なデータの処理が可能となり、解析の自由度が増し、分析の高度化が図れるはずだったが、起こったことは描いた本人も目的を説明できない大量のグラフが生まれたのだった。
俺はそれを「エクセル病」(最初は1-2-3病)と呼んだ。大量のデータをとって目的のわからないグラフを大量生産する。グラフがあるといかにも解析したようだ。添えられている説明は言われなくてもわかるものである。

ネット、SNSで飛び込んでくる大量の情報と振れ幅の極端な意見。
今は過渡期に違いないが・・行先はどこなのだろうか。

やり方がわからない・・の二つの壁

やり方がわからない・・の二つの壁

“やり方がわからない” にはどうも二つの壁があって、ひとつは方法論、ツールを知らないのでわからないというもの。これはシンプルにわからないということで、方法論やツールを学べば解決することが多い。もうひとつはアプローチすべき目標が曖昧でボヤっとした定義しかできない場合で、この曖昧な目標にどうアプローチしてよいかわからないというケース。
目標は曖昧な定義しかできないのであるが、アプローチは具体的でなければならない。
そこでその時点でわかる具体的なアプローチをリストして進めてみるわけだが、そもそも目標に向かっているのかも曖昧だったりする。ここで目標が定義できないとアプローチすらできない・・やり方がわからない、という壁になる。

この壁は新規事業ではよくある壁だ。特に初期段階では、しっかり定義できる目標設定のほうが珍しい。しっかり定義できるならとっくにやっているのが道理というわけだ。
“やり方”という観点で言えば、曖昧な目標に向かって具体的なアプローチを設定し、その結果によって、アプローチそのものと曖昧な目標をクリアにしていくという説明になるのだが・・・
これがまぁムズイ。言うのは簡単だが難しいのだ。
この難しさの中にも二つの壁があって・・・という具合に続くのであるが、まぁ新規事業って壁だらけなのだ。この幾層にも渡る壁を乗り越える障害物競争が面白いのだけれどね。

真のスピードとは?

真のスピードとは?

スピード!スピード!という人がいるが、その中身を考えたことがあるのだろうか、と思ってしまう。目標や目的がクリアで手段もある程度決まっているならば、「スピードアップせよ!」でよいわけだが・・新規事業ではそういうものはほとんどない。
スピードを上げるには目標や目的の仮説をしっかり立てて、手段も手持ちの中から選んで、実行する、そして結果を分析し、目標や目的を修正した仮説を創る・・このサイクルを高速で回すことがスピードアップにつながる。

仮説を創るのは案外難しい。なので、ついできることに走ってしまうケースが多いが、目標・目的のない実行は暴走である。
真のスピードアップは少ない情報で目標・目的を定め、多様な手段の中で手段を決める、という判断、決断のスピードアップと結果分析の洞察のスピードアップなのだ。

営業の真髄は価値の検証

営業の真髄は価値の検証

事業のベースは価値にある。顧客が価値を感じないものは売れないし、長く売れるづけることはない。営業やマーケティングに様々な手法があり、確かに “知らないものは買えない” のであるが、根底に価値がなければ売れ続けることは難しい。

営業の真髄は価値の理解にある。顧客にとっての価値をよりよく理解している者は売れる営業になる。価値を感じないものを小手先で売ることはできても、長く売り続けることはできない。時に価値は顧客自身も知らないことも多い、それを嚙み砕いて、先回りして説明できるものは優れた営業だ。価値が定まっていない新規事業においては営業の役割は売ることそのものではなく、売れる価値があるかの検証にある。

価値を創るのは管理か探索か

価値を創るのは管理か探索か

企業買収などの例を見ると、管理で大きな価値を生むことがわかる。一方で、これは既にできたものをどう管理するか、という話でもある。すでにあるものをどういじくるか、どんな枠組みに変えるかで価値を生む手法で、これも価値創出には違いない。

冒険による探索は管理による価値創出とは異なり、本質的に新しいものを新たに創りだす活動である。同じ価値創造と言っても、既にあるものと新たに創るは考え方やプロセスが違う。
新しい価値を探りながら創るのは管理とは全く異なるプロセスであるが、一度出来れば創りあげたものの価値を育てていくのは管理プロセスになり、既にあるものの管理と考え方は同じではないが、かなり似てくる。

価値を創り上げる、発見する時間軸は短く、その後の管理的な考え方で価値を育てていく時間軸は長い。探索の難しさがここにもある。

事実って何?

事実って何?

歴史を見ると、事実とは何か?という問いにぶち当たる。
勝者と敗者があれば、どっちから見るかで同じ事柄がまったく違うものとして記述される。当然、古いものであれば勝者に寄ったものが多く、本当に起こったことやその要因はどこまでが事実なのだろうか。そうなると事実とは何だろうか?と思わざるをえない。
そう、事実とは相対的なものなのである。

数字の事実は間違えようがないが、重要なものはその解釈にあるケースがほとんどではないだろうか? 数字で決着できるものはその世界が定義されたものだ。しかし、そこに行きつくまでには多くの解釈を経てたどり着く。わかりきった世界はそれほど多くはない。

数字は仮説の代替

数字は仮説の代替

企業内のプロセスは基本的に数字で回っている。
これが新規事業へのアプローチを難しくしている。数字は仮説の代替であり、中身を語らない。数字の達成/未達の解釈が本質だ。当然、達成すればよい、という単純なものではないし、未達だからダメというものではない。
ここが数字で回している側には理解できない。理解できないケースがほとんどだろう。

企業の目的としては数字の解釈による仮説のポテンシャルとその実現可能性を評価すべきであろうが、そういうアプローチは既存事業の中にはほとんどない。
数字が仮説通り積み上がるものはないことを考えれば、数字で判断することはすべての可能性を閉ざすことになるのであるが・・・数字の枠で見ている者はわからない。
仮説の中身とそのポテンシャル、実現可能性が真に重要なイシューであるが、それを理解するフレームワークがない、ということなのだろう。

仮説~検証の本質

仮説~検証の本質

仮説~検証の本質は発見にある。特に初期の仮説はそうだ。
新規事業における初期の仮説は不確実性が高く、まず思った通りの検証結果にはならない。むしろ初期の曖昧な仮説を検証する過程で何を発見したかが本質なのだ。

この本質を理解すれば、初期の段階で無理やり仮説を立てることの意味がわかる。
仮説自体を検証するということよりも、立てた仮説とのギャップを発見することに意味がある。
初期の段階では不確実性が高く、理解も曖昧なので仮説をしっかり立てずに行動してしまう例が多いが、仮説を立てる意味はギャップ分析にある。
仮説の立て方が分析に大きな影響を及ぼすので、避けてはいけない。

適応とは何か?

適応とは何か?

環境変化、状況変化に適応する・・と言うが、実際にはそんなわかりやすい変化は多くない。ちょっとした小さな変化がやがて誰が見てもわかる大きな変化になっていく。
変化を先取りする新規事業において変化を捉えるのは簡単ではないし、変化を捉えなくては適応もない。

ではどうやって変化を捉えるか?
それは仮説~検証という活動にある。仮説~検証はあらかじめ立てた仮説を検証する活動であるが、本質は仮説を検証する過程での発見にある。
発見による目標の修正の積み重ねが結果として適応を実現する。
適応とは発見の積み重ねなのだ。

SDGsの本質

SDGsの本質

事業で100年単位の補助線を引けば・・・SDGsそのものになる。
今後100年を検討して進むべき道を考えれば、それは必然的にSDGsというわけだ。
そこから外れた事業は存続不可能だろう。

SDGsはいまやスローガンがバズワードとなり、手段が目的化するパターンに入っている感がある。しかし、真に事業を考えることが100年構想のスケール上にあることが必然となれば・・・わざわざSDGsと言わなくても企業の持続性、成長はすなわちSDGsのスケール上にある。逆に言えば、そのスケール上にない事業は淘汰されていく。
SDGsはお題目ではなく、企業の持続性の本質ということになる。