未知の海で行く先のわからない航海は死への旅である。これが新規事業となると「やってみないとわからない」と航海に出てしまう。確かに調べたところでわからないことが多いのが新規事業だけど、間違っていようとも地図は作りたい。
地図があれば、それを軸にさまよいながらも目的地を浮き彫りにできるし、なによりも方向的に目的地に向かっているかが確認できる。
地図を持たないと、行き当たりばったりになるだけでなく、目先の航海にこだわって方向を失ってしまう。
なので、苦しくても事業構想は作ろう。
私が仕事で思ったこと、感じたこと、気になること、をメモ的に書いていきます。
未知の海で行く先のわからない航海は死への旅である。これが新規事業となると「やってみないとわからない」と航海に出てしまう。確かに調べたところでわからないことが多いのが新規事業だけど、間違っていようとも地図は作りたい。
地図があれば、それを軸にさまよいながらも目的地を浮き彫りにできるし、なによりも方向的に目的地に向かっているかが確認できる。
地図を持たないと、行き当たりばったりになるだけでなく、目先の航海にこだわって方向を失ってしまう。
なので、苦しくても事業構想は作ろう。
知らないことを知る・・なんと恐ろしい言葉か。いや、すごい言葉という意味です。
知らないことを意識しないと無自覚に自分の知識、経験の枠の中で考える。人はそういうものなんだろう。だからこそ、知らないことを自覚することが新しいことへの入口になる。
それを表現したこの短い言葉。無自覚であってはならない大事な言葉です。
ひとひねりでは誰でも考えつくので競争力がない。ふたひねりすると難しすぎてついてこれない人が多数。なので1.5ひねりを考える。現在地でもないし、先すぎもしない、ちょっと先。これが難しい。
今を考えるのは誰でもできる。今を生きているのだからね。
ふたひねりは今を離れて想像の未来世界。これはこれで貴重なのだが、自由度が大きい分だけ理解も難しい。今と未来をつなぐところが1.5ひねり。
これを生み出すには今と未来を十分に理解できないとつなげない。知識と経験が必要ということになる。
うまくいっているときは誰がやってもうまくいく。ダメなときにどうするか、でその人の真価が出る。出てしまう。なので人の真価は逆境にならないとわからない。ここで他人のせいにするか、環境のせいにするか、はたまた周りに当たり散らすか、嘆き悲しむか、その人の素が出てしまう。
逆境は真の自分の出番なのである。
心して待ちましょう。経験を積みましょう。素は鍛えられるのだ。
マーケティングとかブランドとか言うけど、価値があっての話だよね。まずは価値があることが大前提で、それを活かす手段がマーケティングやブランディングだよ。
手段に溺れず、価値を創りにいかなくちゃ。
AIは手段だ。手段である以上、何をやるか?がなければ始まらない。まぁいつものこととはいえ、この手段を大騒ぎするのはどういうことなんだろう?
ちょっと前ならDXかな? オープンイノベーションとかアライアンス、M&Aなんかもみ~んな手段の話。“何をやる”がない。わが社もオープンイノベーションを・・なんて笑えない冗談だ。〇〇をやるからオープンイノベーションを使おう、だろう。
AIも何をやるかで当然AIの研究も使い方も変わる。目的を言えないうちはいつもの末路を辿るだろう。
それともAIで目的も考えてもらおうということか? そういうこと?
知識と経験がないところにセンスも直観もない。
センスとか直観が問題になるところまで行きつかない。
そして大概はそこまで行きつくことなく日々に忙殺されるのである。
たぶんみるよね。そしてそっちに行く人もいれば、行かない人もいる。
現実は不確実でぬかるんでいて、論理通りにはいかない。
その不確実なドロドロを楽しむか? そんな世界を結晶のように整理することに情熱を持つか? そのあたりが分岐点なんだろう。
そして大概はそこまで行きつくことなく日々に忙殺されるのである。
どうも世の中ではマーケットインというのが(相変わらず)いいらしい。
で、天邪鬼な私は嫌いな言葉なんだな。
マーケットインとか顧客中心主義とかってほとんどのケースでは表面だけ切り取って、顧客の言うことを聞こう!とか顧客に聞いてみよう、という話になる。
顧客に頼るな!媚びるな!お前は何がしたいんだよ!って感じるから嫌なんだな。
そもそもマーケットインとかプロダクトアウトとか、どうでもいいんだよ。どっちも必要なんだよ。価値を創れない言い訳にしないでほしい。
真のマーケットインとは価値を創ることだろうと思うんだよな。
ニュートンが引用して有名になった言葉らしいけど、オアシスのアルバム名で知った(笑)。
巨人の肩に立つ。先人の積み重ねの上に発展があるってことだけど、新規事業というのは案外、積み重ねを無視しちゃうんだよね。“新規”って言葉がそうさせるのかも知れない。
人の考えることは言うほどバリエーションはない。人が感じる価値も新しそうに見えても本質はそれほどバリエーションがあるものではない。ならば、先人の切り開いたものは参考にさせてもらわなきゃ。何事も先人の肩の上に立つことで新たな地平線が拓けてくることを意識しておかないといけないってことで、勉強しろってことか。