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My Sight

私が仕事で思ったこと、感じたこと、気になること、をメモ的に書いていきます。

新規事業とは何か?

新規事業とは何か?

新規事業ってなんだろう?
今ある事業が伸びていて忙しい企業は、新規事業なんて言わないから・・伸び悩んでいる、
将来の伸びしろが期待できない企業がやるんだよね。

ということは、自分たちが持続的に生きていく、つまり社会に対して価値を提供する領域を
新たに創って、既存事業が枯れてきても生き残ることが目的だよね。
だとするとちょっとやってみるか・・じゃ足りないね。将来を賭けられるかどうかを試しに行くんだ。
ちょっとやってみるにしても、その領域で生きていく覚悟が必要だ。
そのつもりでかかってこい!って感じかな。

エベレストは登ろうと思わないと登れない

エベレストは登ろうと思わないと登れない

エベレストは登ろうと思わないと登れない。
そりゃそうだ、本気で目指すなら高地トレーニングや酸素ボンベなど準備をする。
事業も同じ。大きな価値を目指すならば、大きな準備をしなきゃ。

なのに・・スタート時は大きい夢を描いているのに、
やっていることは超現実的なセールスになっているものが多すぎる。
確かに目先の数字が上がらないといけないことはわかるけど、その延長上に何がある? それが目的?
目先の売上も大事だけど、狙いの価値に届かないのではやっている意味もない。
今は小さくても、その先に待っているものは大きい価値というストーリーを描かなきゃ。
それでなきゃ、挑戦している意味がないよね。

目的と手段

目的と手段

目的はごく簡単なものを除けば、将来的なものになる。
目先に目的をおいてもいいけど、それは小さいものになる。
大きい、魅力的な目的になればなるほど時間軸は伸びて、やり方も曖昧にしか言えないものになる。

そんな目的に現実的な手段でアプローチすると・・いろんなことが起こり、いろんなことがわかる。
そして、起こったこと・わかったことに次なる手段を入れていくのだが、そこで考えてみて欲しい。
その延長にもともとの目的はあるのか?、と。
最初のアプローチでわかったことへのアプローチは最初の目的を分解したもので、それを続けていくと
どんどん目的から外れていく。それは目的が大きくて、複雑なものだから当然と言える。
目的と手段を一致させるのは案外、難しい。

効率化と価値創造

効率化と価値創造

効率的に価値創造できればよいのだが・・
そもそも価値創造自体が効率化とは遠いところにあるのでプロセス的に相容れない。
価値はこれまでにないもの、これまでにない組み合わせであって、事前にその要素はわからない。
わからないから価値がある。
効率化はいわば、如何に早く・簡単に目的にたどり着くかということで、
要素がわからないものに効率化はない。

相反する概念としてどう使うか・・だね。

心理的安全性とは与えられるものか?

心理的安全性とは与えられるものか?

天邪鬼だから、「心理的安全性を担保します」、とか「心理的安全性を担保しなさい」って言われると、
なんだよ心理的安全性って与えたり、与えられたりするのかよ、と思う。

お前から心理的安全性をもらう理由はねえよ! 俺は自分で取りに行く。
そもそも心理的安全性ってなによ。心理的だからね・・気持ちの問題ってことで人によって
ぜんぜん違うよね。何から何まで保証されていないと安全性を感じない人もいるだろうし、
ほんのちょっとのことで感じる人もいる。
つまり、自分の安全性とは何か? 自分で決めることだろうと思う。

枠と裁量

枠と裁量

中身がわからなければどうするか?
それは任せるしかない。
では、どこまで任せるか?
それが“枠”になる。

中身はわからなくても、やろうとしていることの理解はできる。その範囲を枠として捉え、任せてみる。
最初は具体的な枠しか任せられない。何をするかわからないからね。
その人となりがわかってくると、任せる枠も曖昧な部分まで広げられる。
この繰り返しで枠を拡げて、裁量権をつけていく。
どうやるか?は問わない。わからないからね。
何をやるか?は確認する。これは理解しておく必要がある。
「枠と裁量」は仕事のスケールを上げるものなのだ。

自分に合った仕事とは

自分に合った仕事とは

自分に合った仕事をしよう!・・って話を聞くたびに、
自分に合った仕事を自分は知っているのか?という問題を考える。
人は自分の経験の中からしか選べない。・・とすると経験が少ない段階で
自分に合った仕事を選ぶことはできないじゃない。まずは経験を増やさないと。

好きなことを仕事にしよう、というのもあるけど、
ごくわずかの人を除いて何が好きなのかは実はやってみないとわからない。
だからいろいろやってみるのが自分に合った仕事を見つける道ということになる。

ワクワクする能力

ワクワクする能力

ワクワクする仕事・・とか言うが、突然、“おおっ~”っとワクワクする仕事ってあるんだろうか?
ある人は自分が何をやれて、何をやりたいのかがもの凄くクリアな人だろう。
そしてそんな人はなかなかいないのである。

いろんな事やってみて、楽しかったり、残念だったり、嫌な気分になったり・・をたくさん繰り返して
ようやく、おぼろげながらワクワクするものが見えてくるのではないのだろうか?
そして、ワクワクしてやればワクワクするし、嫌々やればやっぱり嫌なのである。
たまに地でなんでもワクワクしちゃう人もいそうだが・・
ワクワクするのは自分自身でそれは能力なのである。

個人の目覚めは不可逆な動きだろう

個人の目覚めは不可逆な動きだろう

事業の戦いが、チーム戦から個人技への比重が高まっている。
何をしたら正解か、が規模と時間軸をかけて達成できたのが20世紀とすれば21世紀は正解がなく、
大きな正義に対してはアプローチの切り口が鍵になるが、何が正解かはわからない。
正解というのもないかもしれない。アプローチは創造の入口でもあるからだ。
 
だから個人技が大事になる。プロフェッショナルな個人技だ。
ジョブ型とか、リスキリングという文脈は個人のプロフェッションを問うものだ。
目覚めた個人は自分の可能性を適用する場を広く求め、さらなる経験を積むことを楽しむ。
この動きは不可逆だろう。

数字は目標なのか?、結果なのか?

数字は目標なのか?、結果なのか?

数字は目標ではない。目的をもってやったことの結果である。
なので、数字自体を目標にする場合は何かをやっての結果としての期待値である。
以上。